Pique(ピクゥエ)

Pique(ピクゥエ)

「ピクゥエ」という技法をご存知でしょうか?

 

ピクゥエとは、べっ甲や蝶貝、象牙、水牛のような有機素材の表面に、金や銀、貝などを象嵌(ぞうがん)した技法のこと。
17世紀フランスに始まり、ヴィクトリア時代には半喪期のジュエリーとしても重宝されましたが、その技法の詳細は伝承されず、100年あまり途絶えていました。 今では、「幻の技法」と呼ばれるピクゥエを日本で復活し、現在世界で唯一人のピクゥエ作家として製作活動をしているのが、塩島敏彦氏です。

塩島敏彦氏

塩島敏彦氏 プロフィール

 

1954 甲府市生まれ
1976 象嵌作家塩島東峰に師事
1985 100年ぶりに技法を復活し世界で唯一のピクゥエ作家として現在に至る
1998 東京都知事賞受賞
2000・2003・2004 経済産業省製造産業局長賞受賞

Pique(ピクウェ)とは、基本的には、ベッコウ、象牙、真珠母貝などの有機素材の表面に、金、銀、まれには真珠貝などから作られたデザイン模様を、一種の象眼状に連続して押し込み、その連鎖模様を楽しむ技法を言います。

ピクゥエ作品例1

ピクゥエ作品例2

ピクゥエ作品例3

Piqueという言葉は、フランス語のPiquerから出た言葉で、これは突き刺すとか、ピンで留めるという意味を持ちます。
ピクウェという工法の技法は、ルイ14世の頃のフランスで生まれた技法で、もともとはベッコウで作られた家具やトレイなどの実用具の飾りとして登場しました。その技術を持っていたのは、フランスに住む新教徒であったカルヴィン派の人たちでした。ところが、1685年、ルイ14世治下のフランスで、新教徒の信教の自由を認めていたナントの条例が廃止され、新教徒への迫害が始まります。これを嫌った多くの新教徒は、フランスからオランダ、英国などへ一斉に移住を始めます。これによって、フランスだけで使われていたピクエの技術は、オランダ、英国へと移転します。

 

ピクウェの技術は、英国に渡ってから19世紀半ばまでは、トレイ、小箱、化粧道具入れ、ステッキの握り手などの実用具の装飾に多く使われ、純粋の装飾具のデザインとして登場するのは、1850年代のことです。その後、1890年頃まで、英国のジュエリー産業の本拠であるバーミンガムで機械化による量産が行われるようになり、多くの安価なジュエリーが作られました。しかし、その機械化がどのような方法であったかは、不明なのです。19世紀末にはほとんど作られなくなり、その技術も忘れられました。

 

その製造方法については、金属を焼いてそのまま押し込む、象眼のように彫りを入れておいて叩きこむ、裏面の鋲などでとめるなど、いろいろな説がありますが、実際のところ、どのように作られたのかは、今でも不明のままで、書かれた資料もまったくないのです。一種の秘伝のような形で個人的に伝えられたのでしょう。

 

19世紀末にかけてピクウェの製造も、ピクウェに対しての関心も、完全に下火となり、英国でもその頃にピクエウェは作られていません。技術としても消え失せ、わずかにアンティークの世界でのみ、19世紀の作品が取引されていました。

 

そのピクウェの技術を世に復元したのが塩島敏彦なのです。
宝飾史家の山口遼氏曰く、「私の知る限り、ピクウェを復元しようという試みは世界中で全くない」との言葉にあるように、現在は世界で唯一の「pique(ピクウェ)作家」です。

ピクウェ作品例4

ピクウェ作品例5

ピクウェ作品例6

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