広島へ出張、「生誕120年藤田嗣治展」を見る。


広島のメーカーH社から8月28日に行われる新作発表会のご案内状が届いておりましたので行く予定にしておりました。それと東京で見逃してしまった「生誕120年藤田嗣治展」が広島県立美術館で行われているので前日の27日に広島に入って見てきました。
小さな飛行機で仙台空港を9:40に離陸すると貞山掘が仙台湾の海岸線と平行しているのが見えます。広島県上空に来ると左手に瀬戸内海が見えてきて約1時間20分の空のたびが終わり広島空港に11:00に着きました。

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広島空港は高台にあり空港から市内へはリムジンバスに乗って広島市内のバスセンターまで約55分かかりました。そこからタクシーで広島県立美術館へ4月9日のブログに「藤田嗣治展を見に行こうと思う。」を書いてから約5ヶ月が経っていました。
日曜日なのにそんなに混んでおりませんでしたからゆっくり鑑賞することができました。これだけの数の作品を一堂に集める事はこれから先、中々出来ないと思いますので広島まで来た甲斐がありました。

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一連の藤田の作品を見ていて時代に翻弄された彼の生涯が絵画の中から感じ取れました。従軍画家として書いた何枚かの作品の中の「アッツ島玉砕」には、[T.Fijita 1943]とサインがアルファベットと年号が西暦で書かれていますが「紳兵の救出至る」と「血戦ガダルカナル」には[嗣治2603]とサインが漢字と年号が皇紀で書かれています。これは藤田の意思ではないと思われます。戦時中の軍部の意向が有っての事だと考えられます。しかし私の憶測でしかありませんので、どなたがこの件について知っていたら教えてください。

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