宝飾関連一覧

宝石の情報開示「パライバトルマリンの定義」が変更されました。


トルマリンの中でネオンカラーのブルー系の石を見たことがありますか。
1980年ごろブラジルのパライバ州でブルーやグリーンのネオンカラーの美しいトルマリンが産出され、パライバの名前がつけられました。パライバトルマリンの産地は、ブラジルのパライバ州とその近郊に限定されていました。その供給量は年々に減少を続け、既に枯渇したとも言われています。その為に現在高品質の物は大変高額な値段で取引がおこなはれているのが現状です。

ところで、宝石鑑別団体協議会(AGL)のパライバの定義は「ネオンカラーが特徴的な銅着色のブルー~グリーン系トルマリンでブラジル産であることが特殊検査にて確認された物に対して分析報告書に限り別名パライバと記載可」とされておりましたが、モザンビークからも銅含有のエルバイトトルマリンが産出されるようになりました。このモザンビーク産とブラジル産との識別区別が出来ないものがあり、パライバトルマリンの定義を2006年5月1日から「銅及びマンガンを含有するブルー~グリーンのエルバイトトルマリン」と変更されました。
鑑別機関の発行するパライバトルマリンの分析報告書に「当初産出された地名に因んで“パライバトルマリン”と呼ばれています。但し、産地を特定する物ではありません。」とコメントを入れる事。銅及びマンガンの含有とその測定機器名を明記する。事になりました。

個人的主観ですが、希少価値をうたっていたパライバトルマリンが産地を問わなくなり、ブラジル産との識別区別が出来ないモザンビーク産の同種のトルマリンがパライバトルマリンとして今後の市場に出て来ると考えられます。その時にパライバトルマリンの希少性としての価値がどのように評価されるのかが問われてくると思うのです。
パライバトルマリンでも品質の良くない物も当然あり、希少性を強調してパライバトルマリンということで高い評価をするのではなく、他に類を見ないブルーやグリーンのネオンカラーの美しい本当に綺麗なパライバトルマリンを評価すべきと思います。パライバトルマリンに限らず宝石やそれを使った宝飾品は、その美しさやデザインの素晴らしさによって身に着ける楽しさ、ご両親や愛するご主人からのプレゼントだったり、頑張った自分へのご褒美だったり、記念の思い出等の生活に潤い与える物であって。決して希少性だけでジュエリーが存在する物ではないと思うからです。


ジュエリー リフォーム ページのリニューアルを計画中


昨年からリフォームのページを新しくしようと構想していて只今奮闘中です。
今までのページより具体的な例を挙げて宝飾品のリフォームを分り易く説明し、
海外から求めた宝石やデザインが古くなった宝飾品をお持ちでお悩みの方の
参考になればと考えております。
具体例がまだ少ないのですが来週にUPしたいと計画中です、ご期待下さい。


JJA消費者部会役員会議 in 仙台


社団法人日本ジュエリー協会(JJA)HPのリニューアルをする事になりました。
私の所属する消費者部会にも「好ましくないセールストーク」「悪質商法」「PL法」「消費者相談」について執筆の依頼があり、急遽役員が集まる事になりました。メールで日時と場所の打ち合わせをしていて私が『仙台は、海の幸、山の幸に加えてお酒も美味しいです。受け入れ態勢は万全ですからお任せ下さい。』と誘惑しました。すると、大阪心斎橋のたつみ宝石店の辰巳JJA副会長と横浜のジュエリー専門店YAMATOの野村消費者部会長が即決即断。そして昨日、お二人が仙台に来られました。昼食を中学の先輩が経営している牛たん専門店「福助」で本場の芯たんねぎ定食(芯は、とれる量が少なく柔らかいのです)を注文して食べました。(あっ!料理の写真を撮るのを忘れた。)

13:30からお互いが持寄った原稿を休憩無しでのチェック。写真はニコニコしてポーズをとっていますけれど、真剣そのものでした。どうにかまとまったのが18:30でした。

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早速、文化横丁(昔と変わらぬたたずまいの飲み屋街)の「やくみ屋」に直行。
ここは、友人のK君に紹介された居酒屋です。新鮮な魚介類、銘酒が揃っていて、東京の友達などが来た時はいつも利用している所です。
まず、お酒は山形の十四代本丸の冷酒を注文、料理は近海の本まぐろ、ぶどうエビ、つぶ貝、帆立、くじらの刺身の盛り合わせ、銀たらの鎌焼き、たこの酢漬け、鳥軟骨焼きを注文。(またまた料理の写真を撮るのを忘れる。)
3人とも宝石の小売店主なので共通の話題があり、地域も離れているので本音で話が出来てお互いの良い所を学ぶ素晴らしい機会でした。話に花を咲かせてお酒もすすみ、私は十四代本丸を3杯、青森の田酒を1杯の計4杯も飲んで気が付いたら看板の時間になりなっていました。
JJAの役員をしていなければ、お二人とこの様にご一緒してお酒を飲む事もなかったと思います。JJAに「良い出会い」を戴いたと感謝しています。

写真はやくみ屋さんの店内です。
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JJAのHP リニューアル プレゼンテーション


私は、JJAの調査広報部会HP委員会の委員をしています。昨日は日本ジュエリー協会で16:00から行われたHPのリニューアル プレゼンテーションに審査員として立ち会いました。
インターネット上で公募した6社の方にお集まり頂き、こちらの意図する事を30分の持ち時間で真剣に発表して頂きました。終わったのが19:20、こちらも真剣に聞いていましたので本当に疲れました。終了後、早速審議して一社にしぼり、最終結論は広報部会長、JJA担当副会長に決済を仰ぐ事にしました。
帰りに上野界隈の居酒屋で一杯やって最終のやまびこで帰って来ました。


道頓堀界隈を探訪(2月14日)


会議までの時間がありましたので、大阪日航ホテルに旅行カバンを預けて辰巳日本ジュエリー協会(JJA)副会長の心斎橋筋にあるお店へ表敬訪問。
その後、商店街をなんば方面に歩いて行くと道頓堀にグリコの大きな看板見え、カニ道楽本店、くいだおれ人形と道頓堀の名物広告を見る。

道頓堀

道頓堀を歩いていると、たこ焼き屋がたくさん店を出しているんです。お腹も空いてきたので立ち食いで食べようかと思いましたが、バレンタイ・デーのせいか何組ものカップルがベンチに腰かけて食べている中で、おっさんが一人寂しく寒い中をたこ焼きを食べている姿を想像してみてください・・・・・・・。
絵にならないので鉄板焼きのお好み焼き屋さん「千房」で食べる事にしました。
ミックス山芋焼きを頼みましたがとても美味しかったのでまた大阪に来たら食べに来ようかと思ったら仙台にも支店があると知り、今度は仙台店に行ってみます。

「千房」のミックス山芋焼きを

道頓堀近くには織田作之助の小説「夫婦善哉」でも有名な法善寺横丁があります。千日前筋を入ってしばらく行くと右手に石畳の法善寺横丁があり入り口に看板が架かっています。その先に、全体が緑色の苔でおおわれた水掛け不動さんがあります。周囲は先ほどの道頓堀の喧騒が嘘のような静けさに包まれて、不動明王の威厳の有るたたずまいに凛とした気持ちになります。『私のブログ愛読者の皆様が幸せでありますように。』と願をかけてお参りして来ました。

法善寺横丁

会議は14:30から16:45まで休憩無しで進められました。会議の中でJJAが発行する本「ジュエリー用語事典」の審議があり、JJA技術部会第2分科会委員会(委員長川崎 猛さん)が1999年(平成11年)から7年の歳月をかけ、総ページ数645ページ、約12,000語項目を収集解説してあり、職人、技術者の観点から編纂された他に類をみない「ジュエリー用語事典」の原稿を見せてもらいましたが、素晴らしい内容にびっくり。発売されたら宝飾業界にたずさわっている方は勿論、ジュエリーコーディネーターの受験をする方、宝石の勉強しようと志ている方にとって必携の一冊だと思います。


卵のデッサン20個


GIA G.Gを取得してからGIAのジュエリーデザインコースに入って勉強しました。
最初は色々な造形物をデッサンさせられ、色々な花を20本描きなさい、卵を
20個色々な角度から光をあてて描きなさいとか毎日課題を出されました。
それまで本格的に絵を描く事を学んだわけでありませんでしたから、ついて
いけるだろうかと心配でした。
卵を20個描いて提出した時に先生に褒めて頂いたのが励みになりました。
構図やデザインする事が好きでしたからとても楽しく学びました。
第1回ジョージ・シュッツ ジュエリーデザインコンテスト特選受賞も、
一所懸命勉強した結果なのだと思います。

その当時のデザイン帳が出てきたので見たら卵を描いたページにVery Good Sato!と先生のサインが書いてありました。

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第17回国際宝飾展


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 24日は東京に宿泊。
 第17回国際宝飾展の開場に
 間に合うようにホテルを出る。
 雲ひとつ無い富士山が見える。
 富士山が見れて気分最高。

会場に10時前に着きテープカットをみて会場内へ、何しろ13:00からMVSの
会議があるために十分な時間が無いので残念。
だた救いは、MVSの会議が実のある内容だったので満足でした。

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古ぼけた一冊のデザイン帳


古ぼけたデザイン帳  ここに古ぼけた一冊のデザイン帳があります。
 1971年、暑い沖縄の国際通りに面した山田
 宝石店、そこで一番の加工職人Kさんの隣で
 加工技術を6ヶ月間、手ほどきを受けました。
 その当時、技術を習得するには親方の家で
 住込みで何年もかけて教わったようです。
私は今思うと幸運にも、店一番の技術者から手を取って教えて頂いたのでした。
私の造ったひすいのダイヤ取巻リングをみて、Kさんは『3年位の腕は有るけど商品にはならないね』と褒めてくれたような、けなされたような評価でしたが満足でした。今のように技術書(ハウツウ本)が無い時代でしたので、教わった事を忘れないように、後から見ても分かるように細部にわたって書いたのがこのデザイン帳です。
その時の経験が、いまお客様からのリフォームなどのご要望に十分対応ができ、また職人に的確な指示が出来るのだと思っています。
 苦労の後
「ずいぶん丁寧に書いていた物だと我ながら感心してしまいます。」


JJA理事会と新年賀詞交歓会


上野精養軒で社団法人日本ジュエリー協会の理事会が10:30からありました。
2件の審議事項と11件の報告事項について会議をいたしました。
12:30~14:00まで240名弱の方がお集まり頂き新年賀詞交歓会が
盛大に開催されました。写真は、挨拶をされる桑山征洋会長です。

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途中でジュエリーコーディネーター1級資格認定書授与の式典がありました。
御三方とお話をいたしましたが、経歴、経験に加えて素晴らしい
パーソナリティーの持ち主で、1級に相応しい方たちでした。
これから、JCを目指す方達の憧れと目標になられることと思います。
JC1級資格認定書授与おめでとうございます。

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写真左から山岸昇司さん 桑山会長 上村逍さん 遠藤いづみさん


ジュエリーコーディネーター1級資格認定者が発表されました


12月7日にジュエリーコーディネータ1級資格者の発表がされました。
ジュエリーコーディネーターは、消費者に信頼されるジュエリー販売のプロフェッショナルを業界に育成する為に1997年に社団法人日本ジュエリー協会によって創設された制度です。
当初は3級からスタートした制度も1999年に2級資格が新しく加えられ、今年トップクラスの1級資格が創設されました。
この1級資格試験の1次試験は記述試験と論文試験が行なわれ、108名の受験者の内22名が合格して2次試験の宝石の等級付けの実技、販売プレゼンテーション、面接が10月に東京で行なわれて受験されました。
その時の販売プレゼンテーション試験の試験官として私も立ち会いました。
見事1級資格試験に合格されたのは、女性2名と男性1名の計3名、なんと合格率2.8%という超難関を突破された優秀な人達です。
初めての記念すべき1級資格試験に試験官として立ち会った事は、私にとっても思い出に残る出来事でした。