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仙台クラッシックフェスティバル


昨日11:20頃に、地下鉄の仙台駅で降りて会社に向かおうと改札口を出たらマリンバの音と人垣がありました。好奇心旺盛な私は、デジカメを片手に近づいていきますとマリンバとクラビノーバを演奏していました。曲が終わったときに司会の方が『せんくら地下鉄コンサート』と言っていました。そういえば10月7日(土)から9日(月)まで仙台クラッシックフェスティバル略してせんくら2006が開催されていて有料無料のコンサートが101回あると先月の夕刊で見た覚えがありました。近い将来、この催しが9月のジャズフェスと同じように仙台の大イベントになると思います。

せんくら2006
写真をクリックすると動画を見る事ができます。


ニューヨーク2日目 ④


メトロポリタン美術館 朝6:30起床。ホテルでゆっくりと朝食を取り8:30にホテルを出てタクシーでメトロポリタン美術館に10分で着き、9:00開館前に並びました。と言うのも9月の第一月曜日の4日は、アメリカの祝日レイバー・デー(Labor Day)で2日(土)から3連休と4日まで夏休みが重なって、ニューヨークは観光客でどこも人であふれています。メトロポリタン美術館で最初に見に行く所は、19世紀のヨーロッパの絵画・彫刻の展示場です。ロダンの彫刻、ゴッホ、ルノアール、モネ、セザンヌ、ドガなど等、中学校の美術の教科書で見た絵画や彫刻の実物を鑑賞できるからです。
ルイス・C・ティファニーのステンド・グラス、日本の甲冑、中国・朝鮮・日本の磁器、ヨーロッパの絵画、近代美術など12:00頃まで鑑賞してもほんの一部しか見ることが出来ませんでした。

名画の前で写真を撮る
ドガのバレリーナ 上の写真でもお分かりのように特に注意書きが無ければ常設展では、個人用・非営利目的の場合のみ、スチール写真の撮影が許可されています。但し、三脚とフラッシュの使用は出来ません。ですからこのように名画の前で記念撮影が可能なのです。
左の彫刻の写真は、ドガのバレリーナですが、スカートに触れようと手をかざした人(私ではありませんので念の為)がいましたがセンサーが働いて警告音が発せられました。
メトロポリタン美術館を後にしてプラザ合意で有名なプラザホテルで昼食をと思いましたら、全館改装してコンデミニアムになるようです。5番街(5thAv.)に向かうと、通りは写真のように人人・・・・で仙台の七夕のようでした。

5番街(5thAv.)

ペトロシアンPetrossian 夜はミュージカル「マンマ・ミーヤ!」を観る為に早めの食事をペトロシアンPetrossian (182 W. 58th St. at 7th Av.)でシアターメニューからスモークサーモンと鱸(スズキ)のグリル、デザート。それにアラカルトからこのお店の自慢キャビアとシャンパンを頼みました。スモーク・サーモンとキャビアのそりゃ美味しかった事、文字では表現できません。
18:30にペトロシアンを出てやっとタクシーを拾ってWinter Garden 劇場 (1636 Broadway at 50th St.)に着いたのは開演5分前でした。ミュージカル「マンマ・ミーヤ!」は、70年代のポップスグループ「ABBA」のヒットナンバー22曲が歌われ、最後は満席の会場が総立ちで拍手を贈る素晴らしいショーでした。

海の宝石キャビア他

ミュージカル「マンマ・ミーヤ!」の看板
つづきは、またあした。


ニューヨークに着きました ③


ブルックリン橋

飛行機は9月2日11:20定刻より10分ほど早くJ.Fケネディー空港に無事着陸しました。入国審査は両手の人差指の指紋採取と写真撮影に5分ほどですみ、税関を通って外にでると外は霧雨でした。迎えの車に乗ってしばらく走ると車窓からマンハッタンの摩天楼が見えてきました。マンハッタン島とブルックリン区を結ぶ米国で最も古い吊橋ブルックリン橋のたもとで写真を撮りました。このブルックリン橋が舞台になった映画が沢山あります。
例えば監督:ジェームズ・マンゴールド/出演:メグ・ライアン、ヒュ-・ジャックマンの[ニューヨークの恋人(KATE&LEOPOLD)]でNYの広告会社で働くキャリア・ウーマン、ケイト(メグ・ライアン)とブルックリン橋に偶然開いてしまったタイム・トンネルを通して19世紀からやって来た、レオポルド(ヒュ-・ジャックマン)と出会うラブコメディーや古くは監督 : ジョン・バダム /出演 : ジョン・トラボルタ の「サタデー・ナイト・フィーバー」です。
St. Regis Hotel  9.11のグランドゼロは、雨が強くなり駐車する場所が無く車窓から黙祷しました。9月2日から4日までアメリカは連休の為に観光客で街は大変混んでいましたのでエンパイヤステート・ビルディングは3時間待ちということでパスしました。宿泊はガイドブックに最高級ホテルにランクされている左写真のホテル セント・レジスSt. Regis Hotel (2E,55th St. at 5th Av.)です。
夕食はロックフェラービルの65階レインボーグリル30 Rockefeller Plaza 65th Floor NY ( bet. 49th Sts. & 50th Sts.)にしましたが残念ながら雨でNYの夜景は見えませんでした。つづきは、またあした。


広島へ出張、「生誕120年藤田嗣治展」を見る。


広島のメーカーH社から8月28日に行われる新作発表会のご案内状が届いておりましたので行く予定にしておりました。それと東京で見逃してしまった「生誕120年藤田嗣治展」が広島県立美術館で行われているので前日の27日に広島に入って見てきました。
小さな飛行機で仙台空港を9:40に離陸すると貞山掘が仙台湾の海岸線と平行しているのが見えます。広島県上空に来ると左手に瀬戸内海が見えてきて約1時間20分の空のたびが終わり広島空港に11:00に着きました。

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広島空港は高台にあり空港から市内へはリムジンバスに乗って広島市内のバスセンターまで約55分かかりました。そこからタクシーで広島県立美術館へ4月9日のブログに「藤田嗣治展を見に行こうと思う。」を書いてから約5ヶ月が経っていました。
日曜日なのにそんなに混んでおりませんでしたからゆっくり鑑賞することができました。これだけの数の作品を一堂に集める事はこれから先、中々出来ないと思いますので広島まで来た甲斐がありました。

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一連の藤田の作品を見ていて時代に翻弄された彼の生涯が絵画の中から感じ取れました。従軍画家として書いた何枚かの作品の中の「アッツ島玉砕」には、[T.Fijita 1943]とサインがアルファベットと年号が西暦で書かれていますが「紳兵の救出至る」と「血戦ガダルカナル」には[嗣治2603]とサインが漢字と年号が皇紀で書かれています。これは藤田の意思ではないと思われます。戦時中の軍部の意向が有っての事だと考えられます。しかし私の憶測でしかありませんので、どなたがこの件について知っていたら教えてください。


藤田嗣治展を見に行こうと思う。


昨日の事、米国宝石学会の卒業生で組織しているNGS・GIA-CLUBの会員用の掲示板に田中会長の[藤田嗣治展に行きました]という投稿があり[日本人での世界で一番有名な画家 藤田嗣治展が東京竹橋の東京国立近代美術館で開催されています。5月21日までその後京都、広島でも開催の予定です。私が一番気に入ったのは「裸婦の世界」の部門の数枚ですが乳白色の肌の裸婦が実に見事です。1920年代の最初のパリ、画廊の個展でピカソが画の前で三時間も立ち尽くして居たと伝説になっています。・・・・・]というコメントでした。
その後、以前トラックバックを頂いた「単身赴任 杜の都STIL」さんのブログを訪問しましたら2006・4・4の投稿「藤田嗣治:多彩な絵画世界」でやはり藤田嗣治展をご覧になったことが書いてありました。
日付けが変わった夜中、テレビのチャンネルを変えたらNHK教育テレビで「伝説の画家 藤田嗣治」を放映していました。途中からで藤田画伯が日本に帰国していたときに戦争画を絵がいた頃からのことでした。
藤田嗣治画伯の事を一日に3回も目にする事は、多分私に藤田嗣治展を見に行きなさいという事なのかもしれません。

4月16日 NHK教育 新日曜美術館 「パリの異邦人・藤田嗣治」
午前9・00~10・00  (再)午後8・00~9・00
放映します。


仙台東宝映画館が閉館


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隣の仙台東宝ビルの前を通ったら明日から閉館の張り紙がありました。
シネマコンプレックスの台頭とDVDレンタルの普及によって映画館の存続は厳しさを増していたのと、ビルの老朽化が閉館に拍車を掛けて、43年間の幕を下りてしまうのは映画フアンの一人としてなんとも寂しい限りです。

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道頓堀界隈を探訪(2月14日)


会議までの時間がありましたので、大阪日航ホテルに旅行カバンを預けて辰巳日本ジュエリー協会(JJA)副会長の心斎橋筋にあるお店へ表敬訪問。
その後、商店街をなんば方面に歩いて行くと道頓堀にグリコの大きな看板見え、カニ道楽本店、くいだおれ人形と道頓堀の名物広告を見る。

道頓堀

道頓堀を歩いていると、たこ焼き屋がたくさん店を出しているんです。お腹も空いてきたので立ち食いで食べようかと思いましたが、バレンタイ・デーのせいか何組ものカップルがベンチに腰かけて食べている中で、おっさんが一人寂しく寒い中をたこ焼きを食べている姿を想像してみてください・・・・・・・。
絵にならないので鉄板焼きのお好み焼き屋さん「千房」で食べる事にしました。
ミックス山芋焼きを頼みましたがとても美味しかったのでまた大阪に来たら食べに来ようかと思ったら仙台にも支店があると知り、今度は仙台店に行ってみます。

「千房」のミックス山芋焼きを

道頓堀近くには織田作之助の小説「夫婦善哉」でも有名な法善寺横丁があります。千日前筋を入ってしばらく行くと右手に石畳の法善寺横丁があり入り口に看板が架かっています。その先に、全体が緑色の苔でおおわれた水掛け不動さんがあります。周囲は先ほどの道頓堀の喧騒が嘘のような静けさに包まれて、不動明王の威厳の有るたたずまいに凛とした気持ちになります。『私のブログ愛読者の皆様が幸せでありますように。』と願をかけてお参りして来ました。

法善寺横丁

会議は14:30から16:45まで休憩無しで進められました。会議の中でJJAが発行する本「ジュエリー用語事典」の審議があり、JJA技術部会第2分科会委員会(委員長川崎 猛さん)が1999年(平成11年)から7年の歳月をかけ、総ページ数645ページ、約12,000語項目を収集解説してあり、職人、技術者の観点から編纂された他に類をみない「ジュエリー用語事典」の原稿を見せてもらいましたが、素晴らしい内容にびっくり。発売されたら宝飾業界にたずさわっている方は勿論、ジュエリーコーディネーターの受験をする方、宝石の勉強しようと志ている方にとって必携の一冊だと思います。


ウイーン・シュトラウス・フェスティヴァル・オーケストラニューイヤー・コンサート2006


昨年の暮れ、K君から1月10日仙台市民会館で行なわれる
表題のコンサートのチケットを手に入れたので誘われていました。
会社を二人で出たのが18:00、18:30開場で19:00開演まで
時間があるので食事をしてから行こうと言うことになり一番丁の
高田屋という蕎麦屋に入りました。
中に入ると『お飲み物は』というので『蕎麦だけでだめ』と聞くと
かまわないと言うのですが、日本酒熱燗を頼みました。
コンサートで眠らないかと内心心配・・・・・

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ウイーン・シュトラウス・フェスティヴァル・オーケストラとテノールの
錦織 健さんのコラボレーションでした。
プログラムはヨハン・シュトラウスの作曲のウイーンの森の物語が中心で、
休憩を挟んでアンコールを入れると19曲にもなりました。
心配していた眠気も楽しい楽曲でしたので眠らずに済みました。

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皇室のご慶事・銀のボンボニエール展(11月3日~12月11日)開催


皇室のご慶事・銀のボンボニエール展」が思文閣美術館(京都)で開催されます。ボンボニエールとは、フランス語でボンボン(キャンディーなどの砂糖菓子)を入れる小箱のことだそうです。

ボンボニエール蒐集・研究家の扇子忠さんとは、忠さんのお父様が集められていた射撃大会の参加バッチやタイピンを譲り受けて東北工業大学射撃部のHPに「扇子安次(1909-1990)射撃大会参加記念バッジコレクション」をUPしたご縁で「皇室のご慶事・銀のボンボニエール展」のご案内を頂きました。
京都近郊の方、京都に旅行や出張などでお出かけの方は是非ご覧になってみては如何でしょうか。


32年前のジャズショウの思い出


1973年7月のある日、新聞を見ていた友達が野外音楽堂のハリウッド・ボウルですごいミュージシャンが来るジャズショウがあるから聴きに行こうと言い出しました。私も、GIA(米国宝石学会)GGを取得して気持ちも晴れ晴れしていた時でしたからジャズについてよく分かりませんでしたが他の友達も誘って6名でボックス席を予約。
当日のパンフレットや新聞の切抜きを見ると演奏者の一人だけでも日本だったら大きなコンサート会場も充分いっぱいに出来る一流の演奏者だったと思います。

我々が座ったボックス席の斜め前のボックス席が最初誰も来なかったのですが、途中から体格の良い黒人とやはりガッシリした2人の白人が両側に座りました。演奏と演奏の途中で3人が座っている、そのボックス席にスポット・ライトが当たりロサンゼルス市長トム・ブラッドリー氏を紹介、2人の白人はボディーガードでした。一緒にいた愛妻がパンフレットの裏表紙にサインをもらいましたが、日本語の名前が難しいのかEMIKOといったのでしたがAMIEになっていました。

「THE 15th JOZENJI STREETJAZZ FESTIVAL」を聴きに行って、アメリカでの32年前の懐かしい記憶を思い出しパンフレットを出してきてみています。

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