1969年学生だった頃


多分、昭和44年の春だったと思います。
射撃部の新入部員歓迎会の三次会の流れで、いつしかコーチのSさんと
二人きりで仙台駅の待合室で夜を明かすことになりました。

勿論、東北新幹線も開通していない当時の仙台駅舎は木造で、
真夜中にもかかわらず待合室は夜行列車を待つ人で一杯でした。
木製の長椅子に座って酔いを醒ましていると、
Sさんが『郁雄君、この人たちが何処から来て何処へ行くのか、
どのような思いを抱えて旅をするのか考えたことがありますか?』と
話しかけてきました。

のほほんと暮らしてきた私は、どのように応えてよいか分からず
『えっ!どういうことですか。』と言うのがやっとでした。

『よく見てごらん、大きな荷物を持つ人、小さなハンドバックだけの人、
お年寄りもいれば若い人もいる、男性に女性、職業も色々だろうね。
話しているお国訛りの会話から出身地も分かるよ。あの人は八戸だよ。
郁雄君も主将として部員を束ねていかなければならない立場だから、
個々の体調や何に悩んでいるのか観察をしてベストの対応を考えなくちゃ、
人は付いてこないよ。』と。

設立3年目の東北工業大学に射撃部を創部した時から主将をしてました。
その時の会話は、3年目の私へSさんから激励の言葉だと思っています。

昨日、名古屋へ行く「のぞみ」の車窓から過ぎさる富士山を見ながら、
ふとSさんとのことを思い出していました。
まだ、ゆっくりと時が流れていた時代。
良い先輩に恵まれました。

富士山
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